educationsalonの日記

Education Salon

教育についての記事。教育現場のあまり知られていない情報をあげています。

アクティブラーニングってどこ行ったん?

共通テスト、記述式、英語4技能といった大きな変更点となる入試制度改革。
その対策として「アクティブラーニング」という学習方法が話題となりました。
「入試制度改革で偏差値教育ではなくなる。アクティブラーニングだ!」
「アクティブラーニングを行なっていれば、大学受験は大丈夫!」
などと言われていました。
それが2016年の話です。約4年経ってどうなったでしょうか?広まりましたか?
今回はその答え合わせとなります。

 

 

アクティブラーニングとは

文科省が出している用語集では、アクティブラーニングとは以下のように定義されています。
   f:id:educationsalon:20200330204424j:plainhttps://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2012/10/04/1325048_3.pdfより引用)

講義形式の教育はインプットが中心の受動的な時間となります。それに対してアクティブラーニングはインプットとアウトプットの両方を行うので、生徒が主体となった学習だと期待されています。わかりやすいのが大学のゼミですね。

アクティブラーニングが強く言われるようになった背景には、日本が成長社会から成熟社会に変わったことが強く影響しています。
昭和の日本は加工貿易、工業大国として重厚長大なモノづくりや、高品質なものを大量生産することで経済を盛り上げていました。その結果、日本はアメリカに次ぐ、世界2位の経済大国にまで登り詰めました。
この成長社会で求められていたのは「情報収集力」です。言われた通りにいかに速く・正確に答えを出すことができるか、社会から工場のラインで働く人間、つまり、「従う人間」が求められていました。

       f:id:educationsalon:20200321220751j:plain

昭和の成長期が終わり、世界2位の経済大国にもなり、成熟社会へと移っていきます。物質的に精神的にも豊かになった結果、ハングリー精神がどんどん損なわれていき、モノづくりではなく、インターネットによるイノベーションが求められていたことに気づけませんでした。その象徴がiPhone、スマホではないでしょうか?スマホを作れず、ITといった新しいものを否定し続け、変化を恐れ、現行を信じ続けたのが平成の日本です。
「この方法でぼくたちは世界2位までになったんだ。まだ大丈夫。」と重厚長大から軽薄短小のモノづくりが求められていると信じ、インターネットによる拡張の可能性を否定し続けました。
世界2位にまで登り詰めた成功体験はそれほどまでに甘露だったのでしょう。それを捨てることにどれほどの勇気がいることでしょうか。平成の間では捨てることができませんでした。

GDPは中国に抜かされ、時価総額ランキングに名を入れれる企業もTOYOTAだけになりました。このままでは落ちていく一方だと気づき、時代の変化に臨機応変に対応できるような人間、「従う人間」ではなく「生み出す人間」が求められるようになりました。
その「生み出す人間」を育成する方法の一つとしてアクティブラーニングが期待されるようになりました。

 

 

アクティブラーニングの現場

では、そのアクティブラーニングが学校の現場で導入され、成果をあげているのでしょうか?探究や総合の時間でうまく機能できている学校もありますが、そうでない学校も多くあります。
ポイントは「受験との温度差」です。
ある高校の先生は、積分の面積計算でどの解き方が一番いいか、グループで考えさせる取り組みを行なっていると言っておられました。塾や予備校に行っていてもうまく計算しにくい問題にすると盛り上がるそうです。教育的には非常にいいコンテンツではあるが、授業1コマ使うからこれをやり続けるとカリキュラムが終わりません。理系の場合ですと6月までに数3のカリキュラムを終わらせて、入試に向けての取り組みに入っていく。アクティブラーニングで授業1コマ潰れてしまうとカリキュラムが終わらない、だから現実的にできないと話します。

アクティブラーニングは教育的にはいい時間ですが、時間がかかるために受験との相性は良くありません。
今はどこの高校も大学進学実績で争っています。少しでも多くの時間を受験対策に回せなければ、1年間の余裕がある中高一貫校の生徒に勝てないとカリキュラムを早く終わらせることに躍起になっています。
数3までのカリキュラムを高3の6月まで終わらせることがどれほど生徒の負担になることでしょう。塾に行かずに、学校のカリキュラム通りに理解できる学生は北野高校であってもごく僅かであり、ついていけないほどの早さのために理系の進学を諦める生徒もいます。私立高校ですと、自分たちの学校の進学実績のカウントのために理系を諦めさせるケースも耳にします。

総合的な学習の時間のように、アクティブラーニングを行うべき「探究」や「総合」の時間で数学や英語を行なっている学校はまだまだあります。
「アクティブラーニングをやりすぎると大学進学実績が出ない、ならばやるべきではない」という意見と、「学校なので、受験のことをやる必要はない」という意見の両方があります。現在はまだまだ前者の声の方が多いですので、学校でアクティブラーニングの成果が出ているとは言いにくいでしょう。

 

 

アクティブラーニングが広まらない理由

確かにアクティブラーニングは非常に効果的な学習方法です。しかし、アクティブラーニングの課題として講師がいないということが挙げられます。

日本人はディスカッションができません。以前の記事でも書きましたが、日本人は複数の正義というものを学びません。
(複数の正義に関してはこちらも合わせて参考にしてください。)

日本人は意見が食い違うと、「その人が嫌い」にまで達します。
例えば支持政党。「ぼくはA党を指示しているけど、あの人はB党支持者だから嫌い」のようになります。日本人が行うディベートは意見のプロレスではなく、多数決や世間体に裏付けされた意見をどちらが大きな声で出せるかのプロレスです。
ディスカッションとディベートの違いすら知らない方も多いのではないでしょうか。

これは先生がきちんとディスカッションすることを学ばなかったからです。先生が生徒だった時は「従う人間」が求められていた時代で、先生に意見をしようものならば鉄拳が飛んできました。そこで学ぶのは「権威が絶対」ということです。自分と違う意見を聞き入れて、お互いのためになる意見を生み出そうなんてマインドはありません。
ですので、ディスカッションを円滑に回すことのできる人間が公教育でも民間教育でも、あまりにもいません。その代わりに講義形式の「教える」に長けた先生は非常に多くいます。

「とりあえずグループワークしとけばいいんやろ」と考えている先生は大勢います。これではアクティブラーニングは広まりません。
実際、グループワークは中学校の授業で行えるほど簡単な営みではありません。中学校が行なっているグループワークは作業の意味をわかっている生徒が正解っぽいことを言って、「じゃあそれでいいやん」とし、残り時間はメンバーとおしゃべりする時間になっています。
本当に成立したグループワークを行うには各班に先生が一人は入り、ディスカッションを回さなければなりません。
大学生でもうまく回らないことを中学生ができるわけないじゃないですか。

 

 

まとめ

「大学入試が変わる!」「記述式!」「4技能!」と大学入試改革が言われ、多くの人が飛びついたカタカナ「アクティブラーニング」。
カタカナに弱い日本人には魅力的に映ったでしょう。しかし、4年経った今では、受験との相性が悪く、多くの学校ではロクに行われずに、まだまだ講義形式の授業が中心となっているという結果になりました。アクティブラーニングは当初期待していたほどの拡大は見られなかった、もう忘れられたということではないでしょうか?

さらに、記述式答案も4技能もなくなりました。次年度から始まる大学入学共通テスト。大学入試改革はこの先どこに進むことになるのでしょうか。

 

 

いかがでしたか?
Education Salon OSAKAのホームページです。
https://r.goope.jp/educationsalon
数学が苦手な方、数学の定期テストで高得点を取りたい方、数学の力をさらに伸ばしたい方。学習相談や進路相談など、お気軽にお問い合わせして下さい^ ^