educationsalonの日記

Education Salon

教育についての記事。教育現場のあまり知られていない情報をあげています。

ゲームは1日1時間に科学的根拠なんてない

日本は科学的根拠がないものを正当化して押し付けるのが得意です。
その典型例が三角食べです。三角食べに関しては以前の記事でも書きましたね。

日本には現行制度を根拠無く正当化する文化があります。どこかで「前例がないから」と通らなかったケースを経験したことがある方は多いのではないでしょうか?
「ゲームは1日1時間」も同じです。1時間にしなければならない科学的根拠なんてどこにもありません。

 

 

テレビゲームはダメで、野球ならいい

温暖化で異常気象に襲われる今。夏場の運動部と熱中症のお話は毎年の恒例です。
2019年夏に最高気温が40℃が計測され、そんな中で部活を行う学校は何を考えているのかと叩かれました。

 

野球もテレビゲームも同じエンタメです。
野球は1日1時間とは言いません。テレビゲームだけは「ゲームは1日1時間」と規制されます。野球は40℃といった危険な環境下で行っても許されるにも関わらず、安全な環境下でのテレビゲームは認められません。
野球ならよくて、テレビゲームがダメな決定的な理由はなんでしょうか?
テレビゲームであっても教育的に非常にいいものも多くあります。例えば、マインクラフト。あれは空間把握力に繋がります。空間把握力は最終的にこういった問題に繋がります。受験生の皆さんは解けますか?

 

f:id:educationsalon:20200328221742j:plain                                (早稲田大学)

テレビゲームは1日1時間にして、それ以外の時間を勉強に回しましょうということなのでしょうが、テレビゲームでも学びになっている今、そこ言葉はもう溶けたハズです。

 

狂という漢字

本来、熱狂できるものがあることはいいことのハズです。
松下村塾を作った吉田松陰は自身のことを狂愚と言い、塾生たちに「狂」という漢字を伝えました。
「狂」という字はクレイジーという意味ではなく、本来は「自分でも持て余してしまう情熱。我を忘れて物事に熱中する。」とことを指します。
松蔭先生は狂愚の詩を「狂愚豈狂愚」とまとめています。これは狂っていることで愚かなものっていうのは、どこも狂っていないし、愚かでないという反語的な詩です。他人から見たら狂っていて愚かなように見えるが、狂っている程に熱量があるということは、おそらくそれには価値があるという意味です。


テレビゲームへの狂愚はe-sportsという言葉の登場によってプロゲーマーへと道が開かれました。
プロゲーマーを目指すのも、プロスポーツ選手を目指すのも、運の影響が大きいですので、保証はなされません。自分の狂を信じてどれだけやることができるかです。
「野球選手になりたい!」という目標とリスクは同じです。しかし、テレビゲームは認められません。何故なのでしょうか。


生徒と話していて、「趣味がない」ということをよく聞きます。
趣味とは自分だけの偏愛、誰にも犯されることのない不可侵の領域です。
趣味がないなんて寂しすぎると思いませんか?

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言葉に縛られやすい日本人

石の上にも三年と言われていますが、移り変わりの早い今ですと、3年の間にその会社が潰れてしまうことだって大いにあります。
潰れる前に別のところに移るというのは自然な行いです。
勉強の原義は「無理を強いる」ことです。無理をして身につくこともありますが、それをしすぎると心が止むことになります。仕事も学校も死にたくなるほどならば、行かない方がいいです。
嫌なことから逃げることは決して悪いことではありません。

日本人は言葉に縛られすぎていると思いませんか?高度に発達した現代では、選択肢が増えすぎたため、これまでの言葉では対応できなくなっています。
前例がないからこそ行って、可能性を広げていく。過去を知ることは大切ですが、過去は守らなければならない絶対的なものではありません。ぼくもよく歴史から学んでいます。

「できない」と決めるのは自分です。ということは「できる」と決めるのも自分です。
できないことをできるようにすることが成長です。過去の言葉に縛られて自分の成長の可能性をなくしていることはないでしょうか?
「ゲームは1日1時間」という言葉は自分の興味や偏愛の可能性を狭めている言葉とも見ることができます。
言葉に縛られるのでしたら「どうすればできるだろうか」という言葉に縛られてみてはどうでしょう。

 

 

ゲームはやりすぎたらテストの点数が下がる。
これは紛れもない事実でしょう。しかし、これはゲームだけに当てはまることではありません。野球だってやりすぎると成績は下がります。
これは時間の分配の話です。やりすぎた何かがあれば、その分他に回す時間が少なくなります。しかし、得られるものはあります。それは空間把握力といった受験に繋がるものかもしれませんし、一時的な楽しさかもしれません。
ゲームをやりすぎた結果、テストの点数が下がった。だからゲームの時間を決めた。ということでしたら、その点数が下がった事実は学びになったということです。


ロジックは大切ですが、守らなければならないということはありません。ロジックを知った上で自分でどうするか考える。結局のところ正解なんてありません。自分の選択をパワープレイで正解にすることができるかが大切なのではないでしょうか?

 

 

 

いかがでしたか?
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