educationsalonの日記

Education Salon

教育についての記事。教育現場のあまり知られていない情報をあげています。

「不登校=悪」ではない

今でも「不登校=よくないこと」だと考えられていますが、そんなことはありません。
不登校は単に「学校に行っていない」「学校に行きにくい」「学校を休みがち」なだけです。それの何が問題なのでしょうか?
単に学校と自分が合わなかっただけです。大学や会社ならば、合わないと辞めて別の場所に行くことができますが、公立小中学校は住所で通う学校が決まるので、辞めて別の場所に行くことができません。
再受験や、転職など、辞めて別の場所に行くことはいいのに、小中学校は義務教育だからそれができないので、行かないという方法をとる。
学校に行かないだけです。呼吸をしないとか水を飲まない、ご飯を食べないなんてことではありません。これの何がダメなのでしょうか。

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学校に行かないと教育が受けられないから、例えば計算ができないまま大人になってしまう。文字が読めないまま大人になってしまう。といった意見は分かります。
計算ができないのは買い物ができないに繋がりますし、識字率が約100%の日本で文字が読めないのは致命的でしょう。
(日本は識字率が100%と高いので、文字の読み書きができて当たり前だと思われていますが、世界で見るとまだまだ字が読めな人は多くいます。)

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(引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%98%E5%AD%97

 

確かに、不登校・不登校傾向の生徒の最大の課題が進路の保証です。ですので、Education Salon OSAKAは不登校傾向の生徒を対象にしている講座もあります。
しかし、計算ができる・文字も読めると民間教育を活用して、学校で身につけるべき知識を得るのであれば、学校は決して行かなければならない場所ではないでしょう。
自分にはできないから「そんな自分の想定外のことをしないでほしい」という願いが「学校に行かないなんてありえない」という批判の声になっているのではないでしょうか?
日本の教育は科学があまりにも入っておらず、非科学的な伝統が色濃く残っています。海外の研究発表なんて日本に輸入されて、拡散される頃には曲がって伝わります。日本は科学的リテラシーが高いと数字では出ても、歳を取るとデータではなく、感情論に従うようになります。政治家には理系の方がほとんどいないですもんね。

 

不登校をよくないことだと考えてしまう大前提にあるのは「学校は行って当たり前」だという考えです。光と音を個別に伝えることができなかった明治から昭和の間は学校に行くことは当たり前で常識だったでしょう。
しかしインターネットの発達と共に学ぶ方法も内容も多様化しました。過去しか学べない学校に魅力が感じられない子どもも親も増えているのは仕方がないことです。
インターネットが「学校は行って当たり前」だという常識を溶かしています。実際にコスパを考えたらN高には勝てません。

 

いじめにあった。風邪で数日休んだら、授業についていけなくなり、行く必要がわからなくなった。朝起きられない。面白くない。などなど、不登校になる原因は人それぞれですので、不登校は一概にこれが原因だと言えません。
しかし、学校の先生は「自殺するぐらいなら学校に来なくていいよ」という一言が言えません。「学校は行って当たり前」を常識たらしめているのは学校の先生自身かもしれせません。
校長先生や学校からの指示かもしれませんし、自分自身が立派ないいサービスを提供していると考えているかもしれません。しかし、その一言が言えないために、苦しい思いをしている子どもがいることも事実でしょう。

 

結局のところ、平成の間で平らに成ってしまい、自分や各家庭で「状況に応じて判断する」ということができなくなったのではないでしょうか?それは現在の新型コロナウイルスに対するマスクの対応や学校の一斉休校からも読み取れます。
ですので、今必要なのは「自分の頭で考えることのできる力」だと警笛を鳴らしています。

 

 

いかがでしたか?
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