educationsalonの日記

Education Salon

教育についての記事。教育現場のあまり知られていない情報をあげています。

学問の基本は江戸時代からの「読み書きそろばん」

今学ぶべきなのはなんでしょうか?
プログラミング?英語?数学?
ぼくは数学だと考えていますが、これはあくまでぼくの考える正解であり、人によって異なるでしょう。
日本の権威(先生や先輩、常識や正義)を絶対視する教育では、「複数の正義」ということを学ぶ機会があまりにも少なすぎます。

 

全ての学びの基本となるのは江戸時代からの「読み書きそろばん」です。
読み書きそろばんとは、

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(コトバンクより)
だそうです。

 

それが歴史の中で様々な形に変わりました。

少し前には、読み:英語。書き:プレゼン。そろばん:エクセルなどコンピュータースキル。などとも考えられていました。
では、現在の読み書きそろばんとは何に対応するのかを考えてみました。

読み:文字・文章を読める力

書き:自分の考えや思いを、自分の言葉で言語化して書ける・話せる力

そろばん:数学、数学的思考力

ではないでしょうか?

 

教科で言うと、現代文と数学です。
現代文を読んでいるうちに歴史、日本史や倫理はいることになるでしょう。
今は漫画であっても1年に1冊も本を読まない子どもがいます。
「本なんて読まなくていい」という方もいますが、それは本なんて読まなくても実行することのできる人間力のある方であり、本当に極小数です。いわゆる「学校の授業聞いてたらテストなんて点数取れるやん」といった発言を自然と行えるような人でしょう。
そんな一部の天才のみ当てはまるような気持ちのいい部分だけ切り取るのは危険です。
医学部に合格するような全国の上位10%に入るような学生であっても、簡単な文章が読めないケースを何度も見てきました。
反省文すらロクに書けない学生も見てきました。
積分の複雑な計算ができても、基本的な文章が読めないようでしたら、日本経済新聞すら読むことができません。感覚的な発言しかできなくなり、正当な評価をすることは難しいでしょう。
本ばかり読んで、学びすぎて頭が重くなり、動くことができなくなるのが日本人の得意技ですが、その本を読むことすらできない方も多くいます。
哲学書や思想書や古典といった重たい文章を体力を使って頭の中で反芻しながら読む習慣がスマホの台頭によってどんどん廃れていっています。体力を使って読んだからこそインストールされるものがあります。疲れながら難解なものを読んで、ドーパミンやアドレナリンが出た時にだけ味わえる快感があります。

 

また、読むだけでは不十分です。言語化するために自分の頭で整理して、覚えるためにアウトプットする。言語化できない知識なんてものは、真に自分のものにはなっていません。
(ちなみにぼくは本を読むとき一回読むだけでは覚えられない、使える知識にならないので、メモを取りながら読んでいます。)
このブログの文章は読みやすいでしょうか?
これも何冊もの本や文字を読んだ結果だと考えています。
読みやすいと思っていただけたら幸いです。

 

受験勉強みたいなものです。
受験勉強にはコンテンツ(内容の理解)とトレーニング(反復練習することのできる体力)という2側面があり、受験突破にはコンテンツが必要ですが、大学生になってからはトレーニングの方が重要になります。
「大学に行かないから」「この教科嫌いだから」とトレーニングをしないということは、後々に直面するあなたが多くの時間をかけてでもなり遂げなければならない何かができなくなります。ぼくの場合ですとEducation Salon OSAKAのビジョンの達成です。

 

確かに偏差値は受験では必要です。
しかし、偏差値だけあっても豊かになるとは限りません。
今どき、大学名より、専攻とかやりたいことを一致させる方が、実ははるかに重要です。そのやりたいことと自分の方向を一致させるためには言語化は必要なツールになります。
天才になるためには苦労は必要です。全ての天才はそうで、苦労を苦労と思いません。
時間のかかることはライバルがいないから、逆にコスパがいいと考えています。

 

 

いかがでしたか?
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