educationsalonの日記

Education Salon

教育についての記事。教育現場のあまり知られていない情報をあげています。

「勉強」という言葉の原義

「先生」という言葉の意味をご存知でしょうか?
現在、先生と呼ばれる職業は政治家や弁護士、医師、教員ぐらいです。
一番イメージするのは「学校の先生」ではないでしょうか。
しかし、先生の原義は「学校で子どもたちに勉強を教える人」ではありません。

 

先生」という言葉の原義は「自分より先に生まれた人。年長者。」というだけです。
本来の言葉の意味を考えると、自分より年上の方はみんな先生です。
年長者の方は自分ができなかった経験をしておられます。それを自分は体験することができなく、活字でしか知ることができません。
今の20代は戦争の体験や、公衆電話を探す経験なんてしたことないでしょう。
その経験を「別にいらんやん」と切り捨てるか、「その経験があるからこそ、今の社会がある」とリスペクトできるか、これは大きな違いです。

 

初代ドイツ帝国の首相であるオットー・フォン・ビスマルクは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」との言葉を残しました。
愚かな者は、自分が初めて起こした失敗から学ぶ。賢い者は、過去に同じような失敗をした者から学び、その失敗を回避する。
という意味です。(諸説あり)
人は失敗からしか学びません。自分で起こした失敗が一番の学びになりますが、自分が経験したことのない失敗から学ぶには、歴史から学ぶしかありません。
ですので、年長者の方は自分が持てなかった歴史を持っておられますので、そこから学べることは多いです。そういう意味でも「先生」と言えます。

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受験生を見ていても、英語では辞書をよく引くのに、漢字だと引かないことが多いです。
むしろ漢字こそ辞書を引いた方がいいです。

 

では、「勉強」になるとどういう意味なのでしょうか。
勉強」の原義は「勉め、強いる(本来は気が進まないことを仕方なくする)」です。
そこから現代の中国語では「無理をすること」になりました。
日本でこの言葉が使われるようになったのは江戸時代からです。そこでは商人が頑張って値引きをする意味での「勉強」でした。したくない値引きをするわけですので、「勉め、強いる」ことになります。
明治以降に知識を得るために努力をすることが美徳とされるようになり、「学問や技術を身につけることを頑張る」「修行を頑張る」という意味の「〇〇を頑張る」が「学ぶ」になり、「勉強」は「学習」とほぼ同じ意味で使われるようになりました。

 

つまり、元々の意味を考えてみても、勉強は楽しくないもの、苦痛を伴うものなのです
その原義を踏まえていますので、学習指導要領には「勉強」という言葉は一度も出てきません。「勉強いやー」「勉強つまんないー」という子どもの反応は正しいのです。勉強は楽しいものではないのです。
その苦痛に耐えた結果、ご褒美として志望校に合格したという結果が得られるのでしょう。

 

一種の日本的な修行です。
「〇〇大学合格」や「医者になる」を目標としている方は受験勉強という苦痛に耐えなければなりません。
その中で一つでも希望を見出せるかが、モチベーションや楽しさに繋がります。
それは高い点数をとってクラスの中の上位何番目に立つことかもしれませんし、数学の定理が客観的にもブレない真実であることに対してかもしれません。
希望を見出せて、その希望に走ることができるかがやる気やモチベーションということなのかもしれませんね。

 

 

いかがでしたか?
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